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11/8~11/9 沖正弘先生生誕100周年記念祭が開催されます

2019.10.25

沖正弘先生生誕100周年記念祭
日本ヨガのルーツを伝える

11月8日 感謝祭
インド大使館にて
11時~15時

11月9日 交流会
アルカディア 市ヶ谷私学会館
16時~18時30分

西村和子先生、岸貴之本部長は両方参加されます。
交流会では沖正弘先生に感謝の氣持ちを捧げて「アリラン」を舞われます。
沖先生が大好きだった歌です。
沖先生は広島出身ですが、お生まれになったのは韓国の扶余でした。
その生誕の地に訪れた日本人は2~3人だと聞きます。その中のお一人が西村先生です。
沖道ヨガの普及活動の使命をしっかり受け継がれています。
皆さん、応援をお願いします。

また、西村先生は11月9日 皇居前広場にて行なわれる天皇陛下ご即位をお祝いする国民祭典「祝賀式典」に来賓役員として参加されます。
千葉から音川様、東京から浜崎様、高橋様、岡崎から杉浦様、岸も同席します。

沖ヨガ修行法で「生命即神」を学び続ける

文責 龍村 修

 沖先生の思想の中心は「生命即神」であることは、間違いないと誰でもがそう思います。しかし、その中身を絶筆本である「誰でもが悟り救われる沖ヨガ修行法」とされている(「生きている宗教の発見」の副題)内容を通じて深く全心身生活で体解していくには、時間がかかります。この小文で「生命即神」思想の源流を探り、悟り救われの一助にしたいと思います。

「誰でも悟り? 生きている? とは何のことか」

この絶筆本は、出版社が別の名称の方が売れやすい等と進言してきたのに関係なく、このタイトルに沖先生ご自身で決定されたのは、中身の内容をハッキリさせる意図があったからでしょう。ある特定の宗教宗派を信仰する人達だけが悟り救われるのではなく、どの国家・人種・民族・集団に属していようとも「誰でもこのステップを歩めば……」という点や、既に活力を失っていると言わざるえない類の宗教宗派ではなく、今生きている人々が悟り救われる内容と道をもった「生きている宗教」という面をハッキリ打ち出されたかったからに違いないと思います。ただ、宗教の意味を一般にそうと思われている既存の宗教宗派、宗教文化としての生活スタイルを含んだ宗教を言うのではなく、人間がより良く生きていく為に必要な「宗=もとの、源の」の教えの意味で、誰でもが正しいと思える真理の教えを言っています。

「沖ヨガ修行法は十段階で説かれている」

現代のヨガ界では、世界的にパタンジャリの「ヨガスートラ」を権威としています。しかし現代のヨガの実情は、健康のためのエクササイズの一つか、特殊能力の為の神秘的技術の様に部分的なヨガが主流になっている様に思います。つまり、ヨガが本来持っていたはずのシステム、すなわち心・身・霊・生活・環境を一体化して、誰でもがよりよく生きるために必要な心身の健康だけでなく、特に精神面で「悟り」「信心」「救われ」を求道的・段階的・総合的に修行・修養・修業して到達して行く道という本来ヨガが持っているハズの仕組みが無くなって、一部の能力開発のノウハウになっている様に思います。

沖先生は、現代において誰でもが悟り救われるためには、パタンジャリ師(AD4?)の八段階行法に、バクティー(悟り信仰行法)、ブッディー(仏性啓発行法)、プラサーダ(歓喜法悦行法)を加える必要性を感じ、そうされたのでしょう。その理由は何なのでしょうか。

「マハトマ・ガンジー師とホメイニー師からの学び」

1939-41年頃に諜報員としてインド・蒙古・アラビア各地に滞在していた時に、ガンジー師のセワグラム・アシュラム(ワルダ市)に滞在し、アシュラムの生活システムや誓い、またガンジー師の平和や平等心、偏らない心、アヒムサ・非暴力不服従の社会活動等の講義や生活ぶりを学びました。特にガンジー師の言葉の中で、「Truth is God」(真実が神である)や、アシュラムの誓いにある「全ての宗教に等しく敬意を払うこと。(何故なら全ての宗教の基本原則は同じ)」等は、沖先生の思想の源流になっています。ガンジーアシュラムでは、早朝の祈りの言葉は「南無妙法蓮華経……」から始まり、ヒンズー教、イスラム教、仏教、キリスト教等の様々な開祖の教えの言葉(ガンジーが選び出した)を、毎朝、「祈り行法」として行なわれていました。このことは、後の沖ヨガ活動・沖ヨガ修道場のシステムをみれば、大きな影響を受けていることが分かってきます。

また、アラビアでは、諜報活動中に捕まって牢屋に入っていた時に、同じく捕らえられていたイスラム教のホメイニー師から心のコントロール法や宗教心のこと等を学び、強く影響を受けたことが書かれています。(冥想ヨガ入門〈波瀾万丈時代の事が書かれています〉に記載)

終戦までの間には、日本では特にヨガと積極心の面では、中村天風師にヨガの素晴らしさを学びました。そしてそれが、本格的にヨガを通じて人間性回復と平和運動の活動を目指すきっかけになりました。また冥想ヨガ入門に出てくる様に、様々な宗教関係者に出入りして、精神面の学びを深めていきました。

「奉仕行こそが、エゴを浄化して、精神性を高める行としてインドへ」

戦後、インドに再々渡航し長期滞在中だった1950-55年頃。ユネスコの奉仕団員として活動された合間に、様々なインドのヨガアシュラムや塾、ヨガの師匠を約30か所も訪問されています。この頃にインドで出会った桜沢如一師には、国内国外での東洋精神文化の普及活動で大きな影響を受けていて、後の沖ヨガ修道場の食生活はマクロビオティックになりました。しかし、その頃のインドには、自分の求める釈尊を悟りに導いた求道的・総合的・生活的・段階的なヨガはなかったことを述べています。

ただ、それらの30か所の中でも、ヨガの師匠5人(うち2人はシバナンダ、クヴァリアナンダ?)を優れた師匠とされています。それは沖ヨガ思想にみられる伝統的ヨガを近代的に解釈していく姿勢の土台となったと思われます。つまり、ヨガ師匠の活動、ヨガを近代的・科学的に解釈し、現代社会に受け入れやすい形で、役立てるヨガにすることや、個人の心身の健康や苦しみの解決に留まらず、戦争が絶えない社会の人々に、平和心・奉仕心を育成し、人間性を回復して、社会救済の一助とすること、全世界的に、人種や民族性を超えて、人間的に、また国際的に通用する内容のヨガを目指すということなどでした。

「様々な宗教団体での生活や修行体験・巡礼が心の糧に」

戦前の諜報員時代に体験した様々な宗教が混在するインドや、アラビア・中国・朝鮮・蒙古などでのイスラム教、ラマ教、カソリックでの修行や、戦後の仏教系、禅宗・浄土宗、真宗、日蓮宗、また神道系、カソリック修道院等に出入り修行しました。普通ではこれほど様々な精神修養系団体に出入りし、体験することは大変難しいことと思えます。また戦後は様々な新宗教系団体や健康法・自然療法関係にも多数に出入りしました。そして、あらゆる宗教の教えに共通するもの、良いと言われていることを抽出し徹底して実践し、身につけて行くことを自身の仏性啓発の修行とされ、とらわれのない自由な心、無の心と、生活の場で実際に役立つ多くの智慧を養われました。後に、1965年頃に自身が設立する修行道場を設立するにあたり、その趣意書の中で、特に万物霊の供養や超宗派を本旨とする解脱会の岸田英山師を思想的師の一人としてあげています。またその趣意書では、他に真言密教の藤井真水師、桜沢如一師をあげています。ともかく後の沖修道場での受講生・修行生の育成においては、幅広く深い経験で得られた内容を、「人を見て法を説く」形で、心身生活の全般にわたる幅広い智慧を授けられました。

「あらゆる修行法に精通し、歓喜法悦行法とその生活化をゴールに歩めと」

仏教系の宗教団体であっても、ブッダが開祖でも、日本化した仏教では其の派の祖師を重視し、修行法もそれぞれの特徴的行法があり、普通は他の宗派の経験を積むことはほとんどないと思われます。また、キリスト教系やイスラム教系、神道系などとも、交流することはあっても、積極的にその団体の修行をすることはほとんどないと思われます。この点、沖先生は多分かつてなかったほどに、世界の様々な宗教を実体験された人で、そこからしか得られなかったであろう内容を、10段階のステップとされたのだと、思います。書の中で、シャカの悟りの第一声は「すべての人、すべてのものは仏性(神性)を有するが故に平等であり、個別的能力を有するが故に、尊い存在である。キリストはすべては神の子なりと説示された。私はこの真理をお互いが体験的に把握しあう求道的修行法こそ、現代の世界的弊風を救い得るだけでなく、共存共栄の健全思想を発展させ得る鍵であると信ずる」と趣意書で述べています。

講演の中で、釈尊の悟りの心、イエスキリストの説示の心は、歓喜法悦の冥想行法である、と述べておられます。

この沖先生の類まれな貴重な修行経験から生まれた思想と行法を、ぜひともこの生誕100周年を機に、残し、発展させたいと願っています。